他人の観察でエネルギーを消耗してしまいやすい世の中で


インターネットを使って、多くの人が日常的に自分の見たものや思ったことなどを発信できるようになった。それ自体はわるいことだと思わないし、ぼくもそのうちの一人だけど、そういう環境では、気をつけないと、他人のことを観察しすぎて、自分のことにエネルギーを集中できなくなるリスクもある。

何かを発信したりつくったりしてアウトプットするよりも、読んだり見たりしてインプットするほうがラクなことが多いので、油断すると、ついついインプットに走ってしまいやすい。

インプットも大事だけど、それに自分の時間とエネルギーを使いすぎて、アウトプットへのエネルギーが削がれてしまうともったいないなぁと、よく思う。インプットも楽しいし、学ぶことも多いけれど、それを材料やエネルギー源に変えて、自分でアウトプットしてこそ、充実感が得られることが多いのではないかと思う。

特にSNSは注意が必要。サイトにアクセスするだけで、面白そうな情報や興味をひかれる写真が流れてきて、それらを見ているだけでもある程度の楽しみを得られるし、寂しさも紛れる気がするので(実は増幅する!?)、暇つぶしや息抜きでついついアクセスしがち。

ぼくもどちらかというと、他人のことが気になるほうなので、一時は仕事の合間によくSNSにアクセスしていたけれど、最近はタイムラインはめったに見ないことにしている。あの人どうしてるかなぁ、と思ったら、タイムラインを見に行くよりも、直接連絡したほうがいいなぁと思う。「みんな宛て」に書かれた投稿を読んで、相手のことがわかったような気になるのもなんだかなぁ、と思う。

SNSでしょっちゅう発信して楽しんでそうな人もいるし、そういう人はSNSをアウトプットの場として活用しているようなので、そういう使い方ならいいなぁとも思う。一方で、自分では投稿しないで他人の投稿を見てばかり、という状態だと、インプット過多になるリスクが高まるように思う。その分、どこかでアウトプットできていればいいけれど。

他人を観察していると、ついつい、他人と自分を比べてしまいやすい。ところが、他人と自分を比較したところで、ろくなことがない。羨ましくなるか、自信をなくすか、劣等感を感じるか、優越感を感じるか・・・自分の成長につながるような感情はめったに生まれないと思う。自分が弱っているときや、疲れているときに他人を観察するのはとくに危険。

自分のエネルギーがあり余っていて、困っている人や弱っている人がいれば助けに行こうと思って他人の動向を観察するのならいいかもしれないけれど、暇つぶしや寂しさを紛らわすためにために他人を観察すると、自分に残ったエネルギーを浪費してしまうことが多いのではないかと思う。

弱っているときや疲れているときこそ、自分と向き合い、自分がこれだと思うことを少しだけでも進めることで、ちょっとは気分がよくなることが多い。


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by 硲 允(about me)
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