元旦の夜に。2018年を迎えて


明けましておめでとうございます。

元旦を香川で過ごすのは4年目。例年、ちょっと遠くまで初詣に行きたくなって出掛けることが多かったけれど、最近は何かと出ずっっぱりだったので、家でゆっくりしていたくなった。元旦から朝寝坊すると幸先よくなさそうなので、朝7時に起きて、近所の神社にお参り。毎年、麹からつくった自家製の甘酒をふるまってくれる。大晦日から寝ずに火の番や本殿の番をしてくれている人がいて、ちょっと気の毒になる。

小学生くらいの女の子二人がおじいちゃんと一緒に初詣に来ていて、おみくじを引いていた。おじいちゃんの分まで引こうとするのをおじいちゃんが止めて、「自分で引く」と言って箱に手をつっこむ様子にほのぼのとした。「おみくじは自分で引くものだ」という固定観念が無いのがいい。

家に戻り、今年の計画を立てた。田畑や庭の手入れ、家の改装、本づくり、音楽活動、いろいろなイベントや企画のことなど。元旦はゆっくりしているので、何でもできそうな気がしているが、既に決まっている予定やしたいことをいろいろ書き出していると、時間は有限だということがはっきりする。何をして、何をしないかを明確にしておかないと、だらだらと時間を過ごしてしまいやすい。したいことをする時期ごとに並び変えたり、する頻度(毎日の日課、数日に一度、ひと月くらいに一度、というように)ごとに書き出したりして、具体的にしていくと、頭が整理されていく。

最近、ブログは毎日のように書いているが、自分用のノートにはほとんど文章を書いていなかった。公開する前提で書くと、そのつもりで頭が動き、自分だけ見るノートに書くときとは頭の動き方が違ってくる。どっちも必要だと思うけれど、自分とじっくり向き合う時間が足りていないように思うので、毎日ノートにも書く習慣を復活させることにした。ノートにはその日の出来事や考えたこと、想ったことなどを書く。自分用に書いたつもりが、そこから、ブログにも載せたいことが生まれてくることもある。ブログも2年書いてきて、飽きることはないけれど、マンネリ化してくるのはイヤなので、いろいろな書き方を試していきたい。

目標を立てて、実行していくときに大事にしたいのは、楽しく心地よく、気持ちに余裕をもってできる程度にしておく、ということ。ある程度「頑張る」のも必要だけど、目標を達成することに躍起になり過ぎて、周りの人への思いやりを忘れたり、気持ちが苛立ってやけくそになったり、「想い」をないがしろにして「ロボット人間」になったりしては、本末転倒になってしまう。目標を立て、実行していく過程で、自分が人間として成長しているか(「技術」や「能力」だけでなく)どうかが大事だと思う。二十代前半や半ばの頃は、自分の能力を伸ばすことばかりに目が行っていたが、能力ばかりを伸ばしたところで幸せにはなれないことが、三十代になってはっきりした。二十代の頃はしょっちゅう目標を立てては挫折していたので、目標を立てていると、当時の自分を思い出し、ちょっとは成長したように思った。

目標を一通り立てるのは大事だけど、それに固執し過ぎず、結果を焦らず常に最前を尽くしてちょっとずつでも前に進んでいくことが大事だということも、目標達成に挫折し続けるなかで学んだ。

日々のあれこれに追われていると、何かと惰性で動いてしまうことがよくあるが、年の変わり目という節目で自分の目標や日々の暮らしを見直してみると、頭も気持ちもすっきりし、やる気がみなぎってくる。

初詣で外を歩くと、なぜか目が痛くなって涙が出てきた。顔に塗ったオイルが目に入ったかな、と思ったが、その後、年賀状を出しに行くときも同じような症状があらわれ、おかしいな、と思った。多分、神社でお焚き上げをして、いろいろなものを燃やすのでその有害な灰が風に乗って飛んできたのだろうと思った。元旦の清々しい空気を気持ちよく吸えなかったのは残念だったけれど、世の中、澄んだ面もあれば濁った面もある。明るい場所もあれば、暗い場所もある。きれいなものもあれば、汚いものもある。潔癖になりすぎず、闇から目を背けず、しかし希望を持ち続け、希望を広げていけるような毎日を過ごしていきたい。


by 硲 允(about me)
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