「ミニマリスト」という言葉(概念)が好きになれない理由。



最近、毎日少しずつ家の中の片付けをしている。

片付けをしていると、片付けに関する情報に目が行くようになる。数年前から「ミニマリスト」という言葉をよく目にするようになったが、どうも好きになれなかった。


なぜかというと、物を減らすこと自体が目的化しているような気がしたから。minimalというのは、つまり「最小限」。「最小限」を追求すると、どれだけ減らせるかについて他人と競争したり、なるべくモノを持たないこと自体に喜びを感じたり、ということになりがちだろうと思う。

「ミニマリスト」についてちゃんと調べたことがないけれど、本屋でたまたま見かけた本のページをめくってみると、殺風景なアパートの一室に著者が寂しそうに佇んでいて、これはやっぱり好きになれないと思ったことがある。合板のフローリングにビニールクロスの白い壁の無機質な部屋に、必要最小限の家具(テーブルや布団)だけがある、というのは、どうも寂しい。散らかっている部屋よりはいいけれど、自分が目指すところではない、という印象をもっていた。

モノをなるべく持たないことが目的化してしまうと、「モノを減らす鬼」のようになってしまい、モノは減ったけど「モノを持たないこと」に対する執着が増えた、というようなことになりはしないかと思う。「ミニマリスト」と一概に言っても、人それぞれ、いろんな考えやセンスがあるのだろうけれど。

大事なのは、どういう気持ちで日々を暮らすか、ということだろう。身の回りや家の中の状態によって、家に居るときの気分は違ってくる。散らかっていると気持ちが落ち着く、という人もいるだろうし、きちんと片付けして整理整頓していると気持ちがすっきりする、という人もいるだろう。ぼくは身の回りが散らかっているとイライラしてくるし、仕事がはかどらなくなる。散らかっているほうがいい、という人もいるが、その場合、散らかり方にその人にとってのある種の秩序があるのかもしれない。そういう散らかし方を実現するのは、すっきり片付けるよりも難しいかもしれない。

毎日少しずつでも片付けを進めていると、気分がいい。気持ちが前向きになり、いろんな仕事がよどみなく進んでいきやすい気がする。

「ミニマル」よりも「シンプル」という言葉のほうがぼくにはしっくりくる。シンプルであるためには、「ナチュラル」である必要があるように思う。自然の力を借りなければ、無駄の多い人工的なものに頼らざるを得なくなる。自然から遠ざからず、シンプルに暮らすには…その辺りのところをいろいろ実践してみながら、ブログでもこのテーマでいろいろ書いていきたいと思った。


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by 硲 允(about me)
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