日記の効用。昔の日記を見返すと自分の変化がよく分かる


棚を整理していると、何年か前に書いていたノートがたくさん出てきた。

文学に興味を持ち始めた2010年頃、よく日記を書いていて、日常の会話を詳細に書き留めていた。当時は、自分の思ったことや考えたこと、日々起こったことなどを文章にすると心が落ち着き、充実感を感じた。自分を見失いつつあった頃なので、自分と向き合うことが大事だったのだろう。文章を書くと、じっくり、ゆっくりと、自分の心と向き合うことができる。

最近、日記は書いていないけれど、昔の日記を見返してみて、書いておくと後で役立つなぁと思った。昔の手帳を見ると、日々をどう過ごしていたかはだいたい分かるけれど、誰かに会ったときにどういう話をして、どんなことを思ったのかまで、詳しくは分からない。ところが、会話をそのまま書き留めた日記を見ると、その場面場面が鮮やかに蘇ってきて、そのときの自分をくっきりと思い出せる。

アルバイトで週に何日か勤めていた会社で、終業後にヨガのクラスが始まった。男は一人だけだったけれど、ぼくも参加させてもらった。初めてのクラスのとき、ヨガマットを持っていくと、先生に、「硲さんもヨガマット、前から持ってたんですね?」と言われた。ぼくは、「ヨガマットは前から持っていますが、ヨガは初めてです」と答えたらしく、これを読んでおかしくて笑ってしまった。ぼくは聞かれたまま、その範囲内でだけ答えるクセ(?)があるが、今はここまでではなくなったように思う。ヨガマットは、家で体操や筋トレをするために使っていたわけだけど、それを伝えないと、どうしてヨガは初めてなのにヨガマットは持っていたのだろうと、謎が残ったままになる。

こんな会話は何年も経つとすっかり忘れてしまうが、日記帳に書いていると、そのままの形で頭で再生されて面白い。そんなささいな会話を再生してどうするんだ、とも思うけれど、自分に対する定点観測になる。人間、7、8年も経つと、結構変化する。日々、少しずつ変わっていくので、自分ではその変化に気づきにくいが、日記帳は、過去の自分を振り返るいい道具になる。

日常で話したことやしたことを全部なるべく詳細に書き留めようとすると、膨大な時間がかかって、できることが半分以下に減ってしまうだろうけれど、「これは」と思った会話や出来事を、時々詳細に書き留めておくと後で役立つと改めて思った。

会話をなるべくそのまま再現して書くことを続けていると、会話を記憶する能力が高まってくる(続けていないとすぐに衰えてくるが)。毎日のように書いていた時期は、その日中や翌日に書けば、頭の中でほとんどそのまま再生して書くことができた。会話の途中も、後から書こうと思って意識的に記憶しながら話すようになるが、やりすぎると、記憶しようとする方にエネルギーが行きすぎて、会話の中身を考えることに十分に力を注げなくなり、そうなってしまうと本末転倒だけど・・・。

最近は家の中の片づけをしていて、過去の日記も全部捨ててしまおう、という気になって、一端はリングノートをリングから破って燃やす紙袋に入れていたが、相方がこういうのは取っておいたほうがいいと言って、大事そうなところだけ救出してくれた。たしかに、市販の本であれば、また必要になったら買うことができるけれど、自分の日記帳やノートは世界で一つだけしかなく、捨ててしまえば二度と戻ってこない。それほど場所を取るものでもないし、日記や自分の考えを書いたノートは残しておこうと思った。

ちぎったノートを相方が読んで必要な部分を選別してくれたが、7、8年も前の日記やいろんな文章は自分の抜け殻のようなものなので、誰かが読んでも案外平気でいられる。そんなヤツおったんやなぁ、という感じ。日々、脱皮して新しい自分になっていきたい。そのためにも日記は役立つと思う。


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by 硲 允(about me)
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