「気持ちと文字の距離感」について。


「気持ちと文字の距離感」、ということをふと思った。

自分の気持ちを文字に乗せるには、ある程度の練習が要る。小学生の頃、作文で何かの感想を書かされたとき、何をしたかを羅列したあとで、自分の気持ちは「楽しかったです」としか表現できなかった。

気持ちを文字で表すには、「楽しい」「うれしい」「悲しい」など、必ずしも感情を表す形容詞を使う必要はない。「宅配便のトラックが到着した音がして、パソコンでつくりかけのファイルを保存もせずに玄関に向かって走り出した」と言えば、荷物の到着をいかに楽しみにしていたかが多分伝わる。

伝えたい気持ちを文字に乗せるには、自分の気持ちをよく感じとったうえで、それをぴったり表せそうな言い回しや文章構成を考える必要がある。

手書きの場合、書くスピードがゆっくりだし、物理的に手と文字の距離が近いのもあってか、気持ちを文字に乗せやすいように思う。

パソコンのキーボードで書く場合、タイピングに慣れていればスピードは速いけれど、物理的に体と文字の間には、キーボードとパソコン本体と画面というように、何段階も経て文字が現れる。手書きの手紙などの場合、自分が文字を書いているその紙そのものを相手が読むけれど、画面の場合は、打ち込んだデータが相手の使用している媒体(パソコンやケータイなど)にデータとして送られて、そこに同じデータが再現されるわけで、そういう距離も発生する。

facebookなどのSNSのメッセージとメールでは、物理的に相手との距離感が違ってくるので、文体が違ってくることがある。SNSのダイレクトメッセージは送信先の相手しか読めないわけだけど、SNSは基本的に複数の人と同時にコミュニケーションをとる場であり、そのような場の空気があるので、ダイレクトメッセージを送るときにもそれに影響される場合がある。

ぼくは手書きが一番好きだけど、何もかも手書きにしようと思うと時間と費用がかかりすぎるので、現代社会では使い分けざるを得ない。

手書きの文字には活字には無い何かがこもる。コンピュータ上で飛び交う活字に疲れてきている人も多いかもしれない。手書きの文字のよさがこれからますます見直されるのではないかと思う。それは、文字にこめる自分の気持ちを見直す機会にもなるに違いない


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by 硲 允(about me)
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