スウェーデンの「ライフパズル」と日本の「ワークライフバランス」に思うこと。


日本には「ワークライフバランス」という言葉があるけれど、「女も男も生きやすい国、スウェーデン」(三瓶恵子 著)という本によると、スウェーデンには「ライフパズル」という言葉があるらしい。




ライフ(人生)という枠組みにパズルのピースをあてはめていくイメージだろうか。普通のパズルの場合、完成する絵柄は予め決まっているけれど、「ライフパズル」の場合、どんな絵をつくり上げるかは自由。予め完成形を詳細に思い描いてから組み立てる人もいれば、組み立てながら最終的なイメージを少しずつつくり上げていく人もいる。一つひとつのピースの大きさも自由。大きなピースをどーんとつくってから組み立てていくのが好きな人もいれば、一つ一つが小さなピースをたくさん組み合わせるのが好きな人もいる。途中まで組み立てたパズルを思い切って壊してつくり直すのもありだし、案外早く完成してしまったら新しい次のパズルに着手すればいい。人生を「パズル」に見立てるのはなかなか面白い。

それに対し、「ワークライフバランス」という言葉は初めて聞いたときから嫌いだった。そもそも、ワーク(work)はライフの一部ではないのだろうかという疑問がつきまとう。ライフ(life)を「人生」という意味ではなく、「生活」「暮らし」というようなニュアンスで使っているのだと思うけれど、それにしても、work(仕事)は「生活」や「暮らし」の一部ではないかと思う。この言葉を考え出した人たちは、そういう違和感を覚えないくらい、人生においてworkとそれ以外の活動や時間が切り離されていたのかもしれない。

ぼくは「ライフ」(life)の一部だと思えないような「ワーク」(work)をしたくないけれど、仕事とプライベートや家庭を完全に切り離しておきたい、と考える人もいるだろう。そういう方は、「ワーク」は、お金を得るためにするもの、と割り切っていることが多いかもしれない。そして、「ワーク」で得たお金を「ライフ」で使って楽しむ、という考え方だろう。「ワーク」を長時間したり、他の人が簡単に代われないような高度な「ワーク」をすればたくさんのお金が得られ、「ワーク」をより派手で自由なものにすることができるけれど、「ワーク」をし過ぎるといくらお金があっても「ライフ」を楽しむ時間がなくなるし(現実には、いくら働いても余裕をもって「ライフ」を楽しめるくらいのお金を得られない場合が多いだろう)、「ワーク」が少なすぎてお金を少ししか得ないと「ライフ」がままならなくなる、というような考え方から「ワークライフバランス」という言葉が生まれたのだろうと想像する。

誰が考え出した言葉なのか知らないけれど、働き過ぎを警告するようなニュアンスもあるのかもしれない。ところが、実質賃金が下がり続けているような昨今、働き過ぎでも生活が苦しい方が増えてきている。「バランス」をいじってどうにかなる労働環境ではない場合が多いことだろう。

「バランス」をどうにかするのではなく、自分の「ライフ」の一部だと思えるような仕事を増やしていくことのほうが大事なのではないかと思う。

そういえば、「ライフワーク」という言葉がある。「一生続けていく仕事」、「一生かけて築き上げる仕事」というようなニュアンスだろうか。ぼくの場合は、文章を書くことや、自分の拠点(家や田畑や森など。今のところまだ借家だけど)をつくっていくことなど。「これがライフワークだ」と思えることに取り組んですぐに生計を立てていくのが難しい世の中になっているけれど、お金のあり方や社会のシステムを変えれば、誰もが人生の大半の時間を自分の「ライフワーク」に充てて生きていける世の中をつくることが可能なのではないかと思う。いきなりは難しいけれど、その後押しになることを少しでもしつつ、自分のライフワークに取り組んでいきたい。


【関連記事】
by 硲 允(about me)
twitter (@HazamaMakoto