表現手段と表現力と「自分らしさ」について徒然と。


何らかの方法で日々、表現していると、その方法による表現の技術が高まってくる。

話すのが上手いなぁと思う人は、毎日人と直接会って話す仕事をしている場合が多い。ぼくは5年ほど前から毎日文章を書くようになり、それを始める前よりも自由に書けるようになったと自分では感じている。毎日ダンスをしている人は、自分の気持ちを身体で表現できるかもしれないけれど、ほとんど踊ったことのないぼくは、顔の微妙な変化でしか気持ちを表せない。

表現力は、日々磨いていないと衰えてきやすい。文章にしても、ブログでコラム系の記事をしばらくお休みして久しぶりに書くと時間がかかる。毎日のように書いていると、書いていない時間にもふと頭に浮かんできやすくなる。

いろんな表現手段を持とうとすれば、日々、それぞれの表現力を磨き続ける必要がある。ぼくの場合、文章を書き、ブログ用に写真を撮り、最近はギターと歌の練習も加わった。書や絵にも興味があるけれど、今のところそこまで広げる余裕はない。暮らしや生き方そのものが表現でもある。ブログは毎日の暮らしがあってこそ書けるし、どんな手段で表現をするにしても、その人の生き方や暮らし、考え、価値観などが反映される。

表現力は大事だと思うけれど、技術に走りすぎて本質が疎かになってしまうことは避けたい。才能も関わってくるけれど、技術はたいてい、そのことに時間をかければかけるほど高まってくる。一つのことに集中すれば、その表現手段での技術を集中して高めていけるけれど、いろんな表現手段に手を出すと、どれも技術の向上がゆっくりになりがち。それを心しておかないと、焦ってくることになる。

一つのことを追求したい人もいれば、いろんなことに手を出すのが好きな人もいる。ぼくはどうやら後者らしい。いろんなことに手を出す人は、一つのことを追求している人にそのことでは普通、かなわない。比べたところで気持ちがしぼんでくるだけなので、いろんなことをしたい人は、技術の高さよりも「自分らしさ」を追求するのがいいように思う。その際、周りや他人を見渡して相対的に位置づけしようとすると、結局誰かと比べることになる。誰かのその人らしさを参考にしながらも、自分を深く見つめる必要がある。「自分らしさ」といっても、あまりそこに固執しすぎるとわけがわからなくなってくる。誰でも誰かの影響を受けているし、誰かのおかげで今の人格があるし、「自分らしさ」なんていうものは常に変化していくものでもあると思う。

表現することで、自分が表現したものを自分で外から眺めることができる。そこには必ず「自分らしさ」がひそんでいるもので、表現することは自分を知る手がかりにもなる。


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by 硲 允(about me)
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