目の使い方と視野の狭さについて。


ぼくは視野が狭い、と相方からよくつっこまれる。

誰かと会っても、その人の服装をたいてい覚えていないし、そもそも見えていない。目の辺りしか見ていないことが多い。あまり目を凝視するのもよくないと思い、目から時々視線を外すようにしているけれど、そのときはあまり何も見えていない。

そんな話を友人にすると、「そう言われてみると目をぐっと見るよね」と言われたことがある。ぐっと見すぎてこわがられて視線をそらされることもある。穴があくほど人の目を見つめるのはよくないと気づいてからは、ぼんやりと見るようになった。

穴があくようにぐっと一点を見つめてばかりいると、どうしても視野が狭くなる。ぼんやり見るのと使い分ければいいのだと思うけれど、ぼんやり見るということをあまりしてこなかった。子どもの頃にゲームばかりしてたからではないかと相方に言われ、そうかもしれないと思った。ゲームでは常に目を凝らして集中しておかないと、マリオはすぐ穴に落ちるしテトリスはすぐに積み上がってしまう。

相方はぼんやり見る「術」を身につけているので視野が広く、畑で四つ葉のクローバーや野菜の小さな芽をよく見つけるし、街なかの猫や見逃してしまいそうな面白いものをよく見つけて教えてくれる。

パソコンの画面を見るにしても、凝視しすぎずにぼんやりと見たほうが目が疲れにくいと、相方から教わった。たしかに、時間制限を設けてパソコン作業をすると集中して画面をぐっと見つめてしまうので、短時間の作業でも目が疲れることがある。

目の使い方は、普段あまり意識することがないけれど、人によって使い方の習慣やクセがある。ちょっと意識して過ごしてみると、発見があるかもしれない。

子どもの頃は、身の周りのものがもっと鮮明に見えていたのになぁ、と時々思うことがある。好奇心が衰えてくると、ものの見え方もぼんやりとしてきたり、興味のあるものしか目に入らなくなって視野が狭くなってくるのだと思う。目も心も怠けさせずに鍛えていきたい。


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by 硲 允(about me)
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