「違うなぁ」と思う気持ちを生産的な「燃料」にしよう



誰かが言うことやすることに対して違和感や反感を感じることは誰にでもあると思う。

「違うなぁ」と思って、相手をバカにしたり、攻撃したりするのではなく、「違うなぁ」と思った気持ちを「燃料」にして、自分で何か自分が望むものを生みだすことに使えたらいいなと思う。

人間のエネルギーは、何か(誰か)を攻撃するためにずいぶん費やされているなぁと、特にインターネット上のやりとりを見ていると思う。有名や人気になればなるほど、攻撃対象になりやすいようだ。攻撃したい人は、攻撃しがいのある相手を探す。そのほうが「燃えて」くるようだ。それだけの「燃料」があれば、自分が望むものをつくり出すことにつかったらいいのに、ともったいなく思うことがある。

他人を攻撃してつかの間の偽の喜びを味わっている人はふつう、自分自身に満足していない。自分自身の能力を十分に発揮することができていない。だから、能力を発揮して輝いている人がうらやましい。「そいつも不完全に違いない」と思って、揚げ足をとって引きずりおろすことに歪んだ快感を感じるらしい。「違うなぁ」と思った燃料を他人に注ぎ、自分を生かしていくことに使わないので、自分の能力を開花させることができず、自分自身に満足できていない不満のはけ口を他人に探す。

自分自身に満足できていないときは、ひとまず、腹立たしい他人をなるべく目に入れないようにするのがいいかもしれない。自分一人になると、自分と向き合わざるを得ない。自分と向き合うのがこわくて、あり余った燃料を他人に浴びせるのかもしれない。他人に浴びせたところで、相手はたいてい、そのうちそれを自分の燃料に変える術を身につける。

貴重な燃料を、自分を生かすために使おう。お互いを生かすために使いたい。


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