仕事が分業化されると、何を「クリエイト」しているのか忘れがち



人間の仕事というのは、分業化されると、一人ひとりの人間にとっては、自分が仕事によって何をつくっている(創造している)かすらよくわからないし特に意識しない、ということになる場合があります。

たとえば、ひたすらデータ入力する仕事。

手書きで書かれたデータや文書を与えられるままにひたすらパソコンに打ち込んでいく。そのデータや文書が何に使われるのかもわからないまま。

それは、誰かを幸せにするのに役立つデータかもしれない。あるいは、誰かをだますためのデータかもしれない。ひたすらデータ入力することを求められる仕事では、そんなことはわからないこともあり、そんなことを言っていられません。

人間は誰しも「クリエイター」としてこの世に生まれてきているのではないかという気がします。「クリエイター」といっても、絵をかいたり、曲をつくったり、という芸術家やアーティストに限りません。誰かとおしゃべりするのも、庭の花を育てるのも、山の木を伐って薪をつくるのも、「クリエイション(創造)」だといえるでしょう。

何やらよくわからないデータを入力するのも「クリエイション」ですが、その創造の結果がよくわからず、その結果に責任も持てないというのは、何が生まれるのかよくわからないままに「クリエイト」している状態です。
これはちょっと危険なことで、気づいたら自分の望まないものを「クリエイト」してしまっていた、ということになりかねません。

中には、他人を不幸にしたり傷つけたりするものをつくろうと意図して「クリエイト」する人もいるかもしれませんが、そんな人は少数派でしょう。ところが、何を「クリエイト」しているのかよくわからないけど、当面生活していくためにお金が必要だから、ということで何も意図せず言われるままに「クリエイト」していると、いつのまにか自分が望まない「クリエイション」を支えてしまっていることにもなりかねません。

仕事というのは、「何をクリエイトするか」ということ以外のあれこれに気を取られがちです。嫌な上司とか、同僚との関係とか、厄介な取引先とか。いろいろあっても、気の合う仲間が一人いるだけで、どうにかこうにかやっていけるものだと思いますが、そういういろんな波に揺られているうちに、いつの間にか、仕事で「何をクリエイトしているか(したいのか)」「この世に何を生み出していきたいのか」を特に意識しないようになり、日々の業務をこなすので精一杯になりがちです。

「結局、何を生み出したいのか?」

常に自問し続けたい言葉です。


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