放射能を心配する人を即「風評被害」だと非難する行為について

by CAUTION: RADIOACTIVE MATERIALS / tamasrepus


原発事故以来、「風評被害」という言葉をよく見聞きするようになりました。

放射能に汚染されているかわからない食べ物について「放射能、大丈夫かなぁ?」と言ったら、即、「風評被害!」というような風潮を感じて、「なんかなぁ」と思っていました。

放射能がたくさん降り注いだ地域で育った農産物を中心に、放射性物質が度々検出されています。放射能には色もにおいもなく目に見えないので、放射能測定がされていなかったり、測定結果が表示されていないと、放射能汚染の有無を判断することができません。買い手側からすると、「どうなんだろう?」という疑問が生じるのは当然のことですが、そんなことを言うと「風評被害」だと非難されるのでは、疑問を声にすることすら自粛してしまいかねません。

すべての農産物を放射能検査し、その結果を表示していれば、「風評被害」もなくなるのかもしれませんが、その費用は生産者ではなく、放射能をまき散らした東京電力が負担すべきではないかと思います。原発メーカーや、原発の利用を推進してきた政府にも責任があります。

「風評被害」という言葉を巧みに利用して、当然心配すべきことに対して心配の声を出させないようにしたい勢力の思惑が感じられます。

今、外出先でこの記事を書いていますが、目の前に見える飲食店では、「自然が育てた一級品 会津産コシヒカリ」を使用していると謳っています。会津は福島の中では比較的放射能の影響が少なかった地域ですが、それでもぼくは、このお米の放射能汚染が気になります。限られたお店にしか行かないので、ここのお店には入ったことがありませんが、この謳い文句がなければ、一度くらい入っていたかもしれません。もし、この会津産コシヒカリが放射能に汚染させていないものだとしたら、こういうのも「風評被害」に入るかもしれませんが、ぼくはそれよりも自分の健康の危機管理を優先します。このお店に入ったとしたら、この会津産コシヒカリが放射能測定されたものなのかを訊ね、おそらく店員さんにはわからないのではないかと思いますが、わからなければ、お米はやめて麺類を頼むでしょう(これも「風評被害」だと非難されるでしょう)。

周りを見渡す限り、放射能のことを気にしている人が少ないので、多少の「風評被害」を起こしてでも、放射能汚染の危険性について疑問を呈していく勢力も必要なのではないかと思います。

先日、国産大豆で有機とうふを作っている「アルシオーネ」の(おそらく)所長さんに、大豆の放射能が心配だったので産地を聞いてみました。産地は青森で、必要であれば放射能の安全性を証明する資料も出せるというようなお話でした。放射能の危険性があるとしたら、その場はずいぶん気まずいことになりそうでちょっと躊躇しましたが、思い切って聞いてみてよかったです。給食などで使用する際にも、放射能のことはよく聞かれるそうです。

主権者の一人として今の世の中を作ってきた大人たちは、多少の放射性物質を食べても仕方ないのかもしれませんが、まだ親や学校に与えられるものを食べるしかない子どもたちに何でも食べさせて平気でいる、というのは、大人の責任を果たしていないように思えます。「知らなかった」で済まされる問題ではありません。

「スピリチュアル系」の考えを信じている人の中には、子どもは親を選んで生まれてきたのであって、そういう親が与える食べ物で病気になっても、そこから学んで魂の成長を遂げていく、と思っている人もいるようですが、「スピリチュアル系」の代表的な本である「引き寄せの法則」シリーズの中でも、肉体を持ってこの世に生まれるまでは「引き寄せの法則」を使って、この世での生を楽しめると思ってこの世に誕生するが、肉体を持った存在になったときには「引き寄せの法則」の使い方を忘れていて、他人の思考や意志の影響を受けてこの世の悲劇に巻き込まれていってしまう、というようなことが書かれていました(どの巻だったか忘れてしまいましたが)。


引き寄せの法則 エイブラハムとの対話 (引き寄せの法則シリーズ)


子どもが悲劇に遭ったり病気になるのを選んで生まれてきた・・・そんなアホなことあるかいな、という感じです。「スピリチュアル系」の2番煎じ、3番煎じの本は、(知らず知らずのうちに)自分の都合のいいように勝手に解釈しているものもあるので要注意です。


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