自民党の改憲草案は、明治憲法どころか江戸時代の「慶安の御触書」への回帰らしい。

「憲法改正」の真実 (集英社新書)という本で、樋口陽一さん(東京大学・東北大学名誉教授、国際憲法学会名誉会長)は、こう語っています。

この「自由民主党 日本国憲法改正草案」なるものは、明治憲法への回帰どころではない。慶安の御触書ですよ。

フランス法制史にも通暁した日本法制史の専門家がシンポジウムでそう発言していて、その通りだと思われたとのこと。




「慶安の御触書」というのは、江戸幕府が百姓の生活を統制するために出したとされている法令で、百姓の徹底的に支配し、年貢を完全に収めさせることなどを目的としてます。「幕府の法令を怠ったり、地頭や代官のことを粗末に考えず、また名主や組頭のことは真の親のように思うこと」「早起きして草を刈り、昼は田畑で耕作し、夜は縄ないや俵編みをし、何事に関しても、それぞれの仕事を怠りなく務めること」といった32箇条から成ります。

たしかに、自民党の改憲草案では、あちこちに国民の義務が定められていて、立憲主義に基づいて国家権力に制限をかける近代憲法よりも、義務を定めて百姓を支配する「慶安の御触書」に近いように思えます。

樋口さんは、日本国憲法はいいもので、それに比べて明治憲法はこんなにだめだったんだという言い方を続けてこられたそうですが、明治憲法の負の部分ばかりを強調しすぎたのではないかと反省されているとのこと。

対談相手の小林節さん(慶応義塾大学名誉教授・弁護士)が、まず、明治憲法についてこう整理されています。

・権力は人民の側になく、形のうえでは「天皇主権」
・国民に許された「自由」は、天皇が法律でお認めくださる限りの自由なので、おかしな政府を張り倒す権利がない(政府が認める限りの自由なんて「人権」ではない)
・「統帥権の独立」を根拠に、軍隊が天皇の名前を出せば、その時点でもう誰も手出しできない(その結果、軍隊が勝手に満州で戦争を始め、それに国全体がズルズルと引きずりこまれた)

樋口さんも、この認識には何の異論もないとのこと。

ただ、明治の先人たちが「立憲政治」を目指し、大正の人々が「憲政の常道」を求めて闘った歴史から眼をそらしてはいけないと。

明治憲法を制定した当時の明治政府にとって、江戸幕府が結んだ「安政五カ国条約」という不平等条約の改正が死活的な問題であり、そこから脱却するためには、西欧的な基準に適合した近代国家だと認められるような憲法を制定する必要があったそうです。

「安政五カ国条約」とは、幕末期の1858年(安政5年)、江戸幕府が米国、英国、フランス、ロシア、オランダとの間で締結した修好通商条約。このうち最初に結ばれた「日米修好通商条約」は、治外法権や関税自主権の喪失など、日本に不利な条件を課していました。 

樋口陽一:伊藤博文たちがつくった大日本帝国憲法には、19世紀当時の「近代国家」を支える思想や概念を、必死に学び、それを新しい国の仕組みのなかに活かしていくのだという、先人たちの意思というものが明確に表われているわけです。

明治憲法の草案を審議していたとき、伊藤博文はこう発言しているそうです。

「抑(そもそも)憲法ヲ創設スルノ精神ハ、第一君権ヲ制限シ、第二臣民ノ権利ヲ保護スルニアリ」

これは、「臣民の権利」という表現をばっさり削って「分際」(責任というような意味)にせよという森有礼の提案を受けての発言だそうです。

しかし、森有礼にしても、臣民の権利をなくせと言っているわけではなく、財産や言論の自由というのは生まれながらに臣民がもっている権利だから、わざわざ憲法に書く必要はない、という意味で言っていたとのこと。

これに対し、現在の自民党の片山さつき議員はtwitterで次のような発言をしています。


自民党の「日本国憲法改正草案Q&A 増補版」(Q14)にもこう書かれています。

権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです。したがって、人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました。


天賦人権説というのが、西欧的な価値観の押しつけではないことを示す根拠として、樋口さんは以下を挙げています。

  • 明治初期に、民権運動家や元・下級武士によって書かれた憲法の草案を見ると、人民の権利をしっかり自分たちの言葉で書いている
  • 楠木正成が旗に記した「非理法権天」という言葉があり、これは最後まで欺くことができないのは天だという意味(人間が決めるルールとは別に、人間が手を触れてはいけない大事な価値があるという思想は、天賦人権説や立憲主義の源)


安倍首相は2015年4月、安保法案を日本の国会に提出するより先に夏までの成立をアメリカ連邦議会で約束してきたときの演説で、こう語っているそうです。

日米同盟は、米国史全体の、4分の1以上に及ぶ期間続いた堅牢さを備え、深い信頼と、友情に結ばれた同盟です。自由世界第一、第二の民主主義大国を結ぶ同盟に、この先とも、新たな理由付けは全く無用です。それは常に、法の支配、人権、そして自由を尊ぶ、価値観を共にする結びつきです。

改憲草案では、人権や自由を著しく制限し、国民が生まれながらにもつ権利を否定するようなことを書いていますが、そんなことを話したら同盟国としての信用を失うことをさすがにわかっているのでしょう。

改憲の内容がこの草案通りにいくわけではないと安倍首相は言っているようですが(2016年2月の衆議院予算委員会)、この草案には、自民党がどんな国をつくりたがっているのかというかなり本音のところが書かれているように思います。ここまでやりたい放題書いてしまうか、というレベルですが、ほとんどの国民は読まないし、読んでも大して理解できないだろうとなめられているのでしょう。

今のうちにこの草案の意味合いを勉強し、どんな改憲案を出してきてもすぐにその意味合いを理解できる準備を整えておくことが重要だと思います。

8月か9月に、みんなで一緒に憲法について考える「香川で憲法をしゃべる会」を開催する予定です。日程が決まり次第、このブログやfacebookでお知らせします。


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