翻訳と草刈りの共通点とは? 「今」に集中することの大切さについて

機械を使わずに全部鎌で草を刈っていた頃の田んぼ


翻訳の仕事をしながら、これは草刈りに似ている、と思ったことがあります。

どういうことかと言うと、「先を気にするとムダに疲れる」ということです。

まだ刈っていないところがこんなに残っていて今何分の1進んだだろうと考えたり、翻訳の途中で疲れてきて、まだ訳していないところをスクロールしてどれだけ残っているか確認したり。そんなことをしても作業が進むわけではないし、そうすることでやる気が出たり力が回復するならいいのですが、たいてい、「まだこんなにあるのかぁ」と気分がネガティブな方に傾いてしまいます(もうすぐ終わりそうな段階なら、先を見ても「あとこれだけ!」と思えてポジティブな気分になることもありますが)。

気持ちだけ先走らずに、落ち着いて、今自分がしていることに意識を集中したほうが、効率も上がるし、疲れにくいように感じます。
草刈りでは、体が思うように動くことに感謝して、今目の前にある草を刈る。翻訳でいうと、今、訳を考えている一文の中の、訳がわからない単語を検索して調べる。結局はその繰り返し。先を見て嘆いたりじれったく思っているよりも、今この瞬間の作業をどう楽しむか。

そう言うのは簡単で、実行するとなると難しいのですが、意識を切り替える方法として、「自分の呼吸に意識を向ける」というのもいいかもしれません。焦っているときは、呼吸が浅く、速くなっているものです。ぼくは2年ほど前からヨガを毎日していて、そのおかげで、気持ちが乱れて呼吸が浅くなってくると、自分ですぐに気がつきやすくなりました。そういうときは、目をつむってお腹に深く息を吸い込み、ゆっくり呼吸していると、気持ちが落ち着いてきて、どこか遠くに飛んでしまっていた意識が自分のもとに戻ってくるような感覚があります。

最近は毎朝、起きてすぐにヨガを20~30分するようにしていますが、忙しいときは、呼吸が普段より速くなったり、ポーズの切り替えが速くなったりで、「ヨガというよりただのストレッチになってきてる!」と自分でツッこみたくなるとっきがありますが、そういうときは、ポーズの数を減らしてでも、一つひとつを丁寧におこなうように気をつけています。

「草刈りは瞑想のようなもの」と誰かが言っていましたが、たしかに、残りを気にしたりせずに夢中で刈っていると、頭で何も考えなくなり、そんなときにふっといいアイデアが浮かぶことがあります。翻訳にしても、のっているときは、短時間で自分でもびっくりするくらい進むことがあります。

そういう状態に自分をもっていくには、そのときどきの心掛けや気持ちのコントロールも大事ですが、自分の頭や心や体のコンディションを普段から整えておくことも必要だと感じています。


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