年上だからといって威張るのは時代遅れ。誰もが対等に付き合える時代へ…



人間、誰かに嫌なことをされると、同じことを自分も誰かにしてしまうことがあります。我慢してきたうっぷんやストレスを解消するためでしょうか・・・

昔住んでいた学生寮では、上級生の寮生が下級生を部屋に呼び、お酒をつがせたり、飲みたくない人にも強要する慣わしが続いていました。

数カ月に一回、そういう飲み会が開かれ、ぼくはそれが嫌で寮を出ることを考えたくらいでした(仲のいい友だちもできて、結局4年間入っていましたが)。

飲み会では、下級生が数人ずつ、順番に呼び出されました。お酒はいつも決まって「いいちこ」のウーロン茶割りで、お酒のビンのラベルを上にして注ぐのだと教えられました。上級生の話に対して、聴き取れずに「え?」と聞き返すと、「え、という日本語はない。『はい?』と聞くんだ」と言われたものです。今思い返すと、年齢が数個違うだけでこの上下関係、いつの時代ですか? という感じですが…。

部屋まで呼びにきた上級生に対し、ぼくの同級生が「お酒は体にわるいから行かない」と言って断ったら、その上級生はキレて部屋にお酒か何かをぶちまけて帰っていったこともありました。

ところが、ぼくらの一つ上の代くらいから、お酒を無理やり飲ませるという習慣が薄れていきました。お酒が好きな人だけが集まって、楽しく語りながら飲むような会に変わっていきました。学年が違っても、同級生同士のように仲よくしている人もでてきました。

時代の変化でしょうか。

ぼくらの代から、後輩に対して上から目線で接する人がさらに減ってきたように思います。

年上の人を敬う気持ちというのは、自然に生じるものならいいですが、強要すべきものではありません。年上だからといって立派な人間ばかりでもありません。尊敬してもらいたいなら、尊敬に値する人間になるしかありません。

ぼくの周りでは、年の上下に関わらず対等に付き合おうとする人が増えてきています。年上だからといっていばっているのは、もう時代遅れです。

そういえば、香川の山の中で暮らしている友人は、地元のじっちゃんたちの集まりで毎回コンパニオンさんを呼ぶという話をしていました。「酒くらい自分で注げ」、という感じです。田舎の山の中でも野蛮な慣習が続いています。仕事でお金がもらえるからいいだろう、と考える人もいるかもしれませんが、お金を払う側が、受け取る側の嫌なこと(お金が必要でなければしないこと)をさせるのは暴力で、そんなことをしていても本当の幸せは得られないでしょう。

すべての人間が対等に付き合える世の中にしていきたいものです。