右翼と左翼のことを基礎から知りたいなら、『右翼と左翼はどうちがう?』(雨宮処凛)、オススメです。




雨宮処凛(あまみや かりん)さんの『右翼と左翼はどうちがう? 』という本を読みました。

「右翼」「左翼」と言われてもよくわからなかったのですが、この本を読んで、だいぶすっきりしました。

著者の雨宮さんは、過去に右翼団体に所属されていたことがあり、左翼の活動にも関わられてきたころから、ご自身の経験とともに、右翼・左翼の歴史も簡潔に解説されています。

ぼくは最近まで社会のことにほとんど目を向けてこず、自分が生まれる前の歴史についてもほとんど勉強してこず、知らないことだらけでしたが、これを読んでようやく、世間の人たちが「右翼」や「左翼」に対して抱いているイメージがわかってきました。

本の最初のほうで、右翼と左翼に対する世間の一般的な認識が挙げられています。

<右翼>
  • 日本の伝統を守り、国を愛する体育会系の人たち
  • 天皇を中心とした日本を大切に思っている人たち
  • 60年前の日本の戦争について、「あの戦争は悪い悪いと言われているが、アジアを解放するという側面もあった、日本のおかげで独立できた国もあった」という意見をもっている(戦争に対して被害者的な見方)
  • 憲法を改正し、軍隊を持とう
  • 天皇制を否定する共産主義には反対。今の資本主義が決していいとは思っていないものの、共産主義よりはずっとマシ、という意見
  • 靖国神社を大切に思い、国のために戦ってくれた人たちを尊敬して参拝に行く


<左翼>
  • 権力が嫌いで、自由と平等を唱えるインテリ
  • 平等を主張するので、天皇制そのものに反対している
  • 60年前の日本の戦争について、「あの戦争はアジアを侵略した。日本はひどいことをした」という意見をもっている(戦争に対して加害者的な見方)
  • 憲法、とくに9条を守り、軍隊を持たず、反戦平和を訴える
  • 資本主義に反対し、世界の中で抑圧された人たちを解放し、みんなが平等に暮らせる共産主義を目指している
  • 靖国神社を「また戦争に行かせる装置」として反対している

このリストを見て、「自分は右翼(左翼)のつもりだけど、ここは違うぞ」という方もいるでしょう。これはあくまでも、世間の一般的な認識なので。

この本では、右翼と左翼の「両方の活動家に話を聞こう」、ということで、それぞれ3名ずつ、合計6人の方へのインタビューも掲載されています。これを読んでも、同じ右翼でも、同じ左翼でも、人それぞれ、考えが違うところもあれば、似ているところもある、というのがわかります。

右翼団体や左翼団体もありますが、そういう団体に属していなくても、「あの人は右翼(左翼)」などと言われることがあります。自分ではそう思っていなくても。要は「レッテル」ですね。「右翼」や「左翼」に明確な定義があるわけではありませんが、みんながそう呼んでいると、よくわからなくても何となくそう思わされてしまう人がでてくるのがおそろしいところです。

雨宮さんは、最後のほうでこう書かれています。

右翼も左翼も、結局、めざしていることはシンプルだ。
どちらもめざしているのは、誰もが幸せに生きられる社会だろう。
ただ、政治的な意見を言うと、たちまち「右翼」「左翼」と言われてしまうことに居心地の悪さを感じる。

ぼくは政治的な意見をほとんど言ってこなかったので、どちらとも言われたことがありませんが、自分ではどっちとも思っていないのに勝手に烙印を押されたら不愉快だろうと思います。

「どちらもめざしているのは、誰もが幸せに生きられる社会」・・・それは、この本に登場する、右翼や左翼を代表する方々の話からも伝わってきました。結局、最終的な目標は一緒だけど、そこへ向かう道筋や方法をどう考えるかが、人によって異なる、ということです。

続いてこう書かれています。

ひとりひとり、いろいろな意見があって、その考えも時代や成長とともに変わっていく。ひと口に右翼、左翼と言ってもその考えはあまりにも幅広い。右翼や左翼に分類されず、自分の意見を言い合うことができる世界の方が、ずっと居心地がいいと思うのだ。だから私は、どちらにも分類されたくない。右翼、左翼というレッテルがついてしまった時点で、自分の考えもしばられる気がするからだ。

人間、物事をすっきり理解したいものなので、単純化した「ラベル」を貼りたがりまし、そういう心理を使用して、誰かに「ラベル」を貼ってその人の印象を操作しようとする人もいるものです。でも、「ラベル」が中身を正確に示しているとは限りません。食品のラベルも一緒で、書かなくてもいい材料や、実際の材料とは違った印象を与える表記もあります。中身を一つひとつ、自分で調べてみないことにはわかりません。

最近の若者の間では、右翼や左翼に対する印象が昔に比べて薄れてきているのではないかと思います。ぼくもよくわかりませんでしたし。だから、自分はどっち側だから、この問題についてはこう考えるべきだ、といつの間にか誘導されにくい面もあるかもしれません。そうであれば、一つひとつの問題について、バイアスのかかっていない状態から自分の意見をつくっていきやすいというよさがあります。実際には、「社会のことはよくわからないし、あまり関心もない」という人がまだ多いし、ぼくもそんな感じでしたが、さすがにそれではいけないと思って、いろいろ勉強しはじめています。