「ライター」という仕事は、作家よりも翻訳者に近い?

Writer in the park (Thomas Nugent) / CC BY-SA 2.0

「ライター」と呼ばれるような仕事もときどきしています。

一概に「ライター」と言ってもいろいろですが、ぼくがしてきたのは、どういう相手や場所を取材するかをクライアントに指定され、定められた目的に応じて記事を書くというスタイル。

こういう仕事をやってみて、テーマや文体を自由に決めて小説やエッセイを書く作家の仕事よりも、もともと原文の用意された文章を別の言語に置き換える翻訳の仕事に近いものがあると感じています。

「ライター」の仕事にも、ある種、「翻訳」のような作業が発生するなぁと。つまり、クライアントや取材相手の期待を文章に「翻訳」する必要があるということです。

クライアントは、こういう媒体にこういう記事を載せたいという期待を持っている。一方で、取材相手はそれとは別に、こういう情報を発信したいという期待を抱いている。その二つを両立させながら一つの文章に仕上げる技術がライターには必要だと思いました。なおかつ、自分はこういう情報を取り入れて、こういう記事を書きたい、というライター自身の希望もあり、それも上手く混ぜていく(そんなのは求めていない!とクライアントや取材相手は思うかもしれませんが、そこまで自分というものを放棄してしまうと仕事にやりがいを感じられなくなり、結果的にいい仕事もできなくなると思います)。ただし、ライター自身の希望を全面に出し過ぎてクライアントや取材相手の希望を満たせていなければライターの仕事としては不合格でしょう。

自分の書いた記事を取材相手(「取材」という言葉は嫌いですが…)に喜んでもらえると、うれしいものです。それは翻訳の仕事も同じで、もともとの原稿を書いた方に、翻訳した文章を喜んでもらえると、やってよかったなぁと思えます。

どちらも、結局は「伝える」仕事です。「伝える」仕事にやりがいを感じるためには、自分が「伝えたい」ものを伝えること、そして、それを相手や自分、第三者が満足する形で伝えることでしょう。ただし、ライターや翻訳の仕事というのは、自分が伝えたいことばかりを扱うのがなかなか難しいため、そこは努力と工夫が必要とされます。

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