2016/02/05

「アクティブラーニング」、やりたかったなぁと思う一方・・・

前にも聞いたことがあるようなないような、「アクティブ・ラーニング」。温泉のラウンジに置かれた『AERA』をぱらぱら見ていたら特集されていました。

「アクティブラーニング」というのは、学校で先生の講義をじっと聞くだけでなく、クラスメイトとインタビューし合ってそれをもとに作文を書いたり、ディベートをしたり、そういう活動を取り入れた能動的な学習のことを言うようです。

ちなみに、文部科学省の資料ではこう定義されています。

教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。

学生の頃を振り返ってみると、アクティブならぬパッシブ・ラーニング(受け身の学習)の退屈で辛かったことよ・・・

先生や授業にもよりますが。小学校なんて、勝手に割り当てられた先生が2年間も付きっきりでどの教科の授業も担当するわけで、小学生の頭の柔らかいときに、その先生の影響をもろに受けることを考えると、おそろしや、という感じです。

「あの先生はよかったなぁ」という先生もいますが、「あの先生のせいでトラウマになったんとちゃうか」という先生もいます。ぼくは従順な子どもだったので、先生の言うことを何でも素直に聞いていましたが、あとから考えると「あれはめちゃくちゃやったなぁ」ということもあります。

アクティブラーニングの記事を見ると、楽しそうにいろんな活動に取り組んでいる子どもたちがでてきて、「こんなんできたらよかったなぁ」という思いがまず浮かんできます。先生の話を黙って聞いているだけよりも、自分の考えをつくったり発表したり、クラスメイトと話し合ったりしたほうが、頭も心も活発に動き出すに違いありません。受け身で情報を自分のなかに取り入れるだけでなく、自分の頭で考えてそれをアウトプットしていく習慣が身に付きそうです。

その一方で、先生がちゃんとしてないと、効果的なアクティブラーニングが成り立たないのではないかという疑問もあります。

小学生の頃、ぼくは授業中に手を挙げて発表するのが苦手でした。国語の授業で、物語を読んで、その感想を手を挙げて発表しなければいけなかったのですが、ぼくは感想を思い浮かばず、手を挙げることができませんでした。そのあと、先生に嫌みを言われたのを覚えています。

こういうちょっと「アクティブ」な要素を取り入れた授業でも、子どもの能動的な気持ちを引き出すような雰囲気を作り出したりそのための工夫をうまくしないと、無理やりアクティブに活動させようとしたところで、嫌々だとひずみが生じてきます。

退屈な講義はそれはそれで我慢してじっと聞いていなければならないのは辛いですが、聞いているふりをして空想にでもふけっていれば過ぎ去ります。しかし、下手な「アクティブラーニング」に付き合わなければいけないとなると、心理的な負担はさらに増大しそうです。クラスメイト同士の仲がわるかったりしても、いろいろ難しいことがでてきそうです。

そういう難しい面もあると思いますが、うまくやれば魅力的で効果的な手法だとは思います。

それにしても、授業中の発表というのは、たいていは決まりきった答えの分かっている人しかできないというのはヘンやなぁと思います。手を挙げて、「わからない」と言ったり、質問したり、異議を唱えたり、と、もっと自由に授業に関われるようにしないと、言われたことをただそのまま覚えたり、聞いたふりをして聞き流したりするのが上手くなる一方です。

国語の授業の感想でも、「特にありません」でもいいんじゃないか。

と思っていたら、作家の志賀直哉氏は、文化勲章を受賞したあとのインタビューで感想を聞かれ、

感想って、別にありません。

と答えています(下の動画で5:20 あたり)。




感想なんて、ないならないでいいじゃないか。

これくらい自由に振る舞える学校であってほしいものです。


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