「オープンダイアローグ」という精神療法

「一人になる時間」という記事を書きましたが、「ひきこもり」と呼ばれる人たちは、「一人になる時間」、つまり、自分がありのままの自分でいられる時間が持てず、極限まで他人との接触を避けられる場所を求めずにはいられなかったのかもしれないと想像しました。


親に愛されるためには親が望むような自分にならなければならない、学校でうまくやっていくにはクラスメイトの気に入る自分にならなければならない、誰かに認められるにはその人のよしとする人生を生きなければならない…そんな圧力をどこからか受け、他人の期待に沿って生きているうちに、自分を見失ってしまう。本当の自分はどう生きたいのか、何を思っているのか、何をしたいのか…。誰かが喜んでくれたり、尊敬されたり、好かれたり…そのときはうれしいけれど、他人の基準を自分の軸にしていると、自分を見失ってしまう。他人のことはわからない。喜んでいるふり、尊敬しているふり、好きなふり、かもしれない。そんなことが後からわかったら、すぐには立ち直れない。その他人だって、本当の自分を生きているとはかぎらない。それに合わせていたって、みんなで一緒にニセモノの自分を生きることになる。

やれやれ。疲れた人間は、一人になりたくなる。ぼくは「ひきこもり」ではないが、人に会いたくないときもあります。今日一日は、一人でいたい、という日もある。「ひきこもり」というのは、そんな気持ちがもっと大きく、もっと長くなったものなのだと想像します。

「ひきこもり」について相方と話していたら、後日、こんな記事があったよ、と教えてくれました。


「オープンダイアローグ(開かれた対話)」というのは、フィンランド北部・西ラップランド地方の精神科病院で1980年代前半から行われ、主に統合失調症の患者を対象にした精神療法とのこと。公的医療制度の対象にもなっているようです。

「オープンダイアローグ」の方法が、なかなか興味深いです。患者と主治医だけでなく、家族や友人・知人、看護師らを交えてミーティングを開いて意見を述べ合い、ミーティングにはファシリテーターはいても、対話を方向づけたり先導したりするような「議長」「司会者」はいないとのこと。

治療チームは、あらかじめ対話のテーマを設定せず、なるべく「はい/いいえ」以上の答えが求められる質問から対話を始めるそうです。有意義な対話を生み出すために、治療チームは、患者や他のメンバーの発言すべてに応答することにしています。

また、対話の目的は「合意」や「結論」に達することではなく、対話のメンバー同士の異なる視点がつながることが重要で、「合意」や「結論」は副産物と見なされているそうです。

今年の6月に「オープンダイアローグとは何か」という本を出された斎藤環さんは、「引きこもり」の治療を専門とし、「引きこもりもモノローグの世界に閉じこもり続けている。それを開くだけで一歩前進。対話を通じて周囲との関係が良好になれば、二歩も三歩も前進する」と、「オープンダイアローグ」の統合失調症以外への応用も期待されています。

「ひきこもる」ことを選択するほどに追い込まれた場合、自分を回復するには時間がかかることでしょう。他人の期待や希望に合わせてつくっていった自分の世界を新たに構築しなおす必要があるのだと思います。それは孤独な作業です。人間は、一人っきりで生きていれば誰でも孤独を感じるものだと思います。誰でも、他人との関わりを求めている。ただし、本当の自分を封じ込めることなく。そういう願望は、他人との関わりのなかで見えてきます。他人との関わりには厄介なことや面倒なことも多いけれど、深い幸せは、他人との関わりのなかで見いだされるものだと思います。自分が本当に思っていることを話し、それにちゃんと耳を傾けてくれる人がいるだけで安心するものです。意見が一致しなくても、あなたはそうなんだね、と、自分の意見を大事に聞いてくれる人がいるだけ安心するものです。もちろん「テクニック」や「方法」だけではうまくいかず、本当にそういう気持ちが伴っていなければ意味がないと思いますが。
  • なるべく「はい/いいえ」以上の答えが求められる質問から対話を始める
  • 対話のメンバーの発言すべてに応答する
  • 対話の目的は「合意」や「結論」に達することではなく、メンバー同士の異なる視点がつながることが重要

これらは、日常の会話でも心掛けたいことだと思いました。




「オープンダイアローグとは何か」(斎藤環)



by 硲 允(about me)