通訳者を目指し、あっさり軌道修正し、今に至るまでの経緯とこれからのこと



ぼくは高校生の頃、英語が好きになり、英語を使って何かしたいことがあるわけではなかったけれど、英語を勉強してだんだん上達していくことが楽しく、英語の勉強を一生続けることができればそれで幸せだと思っていた。

大学でも英語を専攻した。英語の音が好きだったので、英語音声学のゼミで勉強した。英語音声学の学者になることも考えたが、音声を突き詰めて研究したいというよりは、英語を学び続けながら、英語以外にも世界のいろいろなことを勉強したいと思い、通訳の仕事に興味をもった。ニュースや国際会議の通訳なら、毎回いろいろなテーマが出てきて、仕事のなかでずっと勉強し続けられるのがいいと思った。

大学で通訳研究会というサークルを立ち上げ、しばらくは「通訳の勉強狂い」になっていた。お風呂に英語の記事を持って入り、水でふやかして壁に貼り付てシャワーを浴びながら日本語に訳したり、夜中に突然通訳の練習がしたくなって、テレビをつけてたまたま放送されていた「ドラゴンボール」(アニメ)のセリフを延々と同時通訳したり、何かに取りつかれたように通訳の勉強をしていた。

当時、「自分は通訳者になれるのだろうか」と度々考えては不安になっていた。通訳者が書いたいろんな本を読みあさって、プロになるまでの経緯や勉強法を研究した(それにかなりの時間を費やしたが、今思えば、そういう時間を削って通訳の練習をもっとしたほうがよかった)。

大学4年生の頃、国際関係か何かの授業で初めて名前を知った(経営コンサルタントの)大前研一氏の『ザ・プロフェッショナル』という本を何気なく買って読んだ。通訳の勉強というのは、英語だけでなく、日本語の勉強も必要になる。英語を聞いて概念で理解できても、それにぴったりの日本語を瞬時に頭の中で見つけなければならない。この本の最初のほうのページは、日本語の勉強のために、意味はわかるけれど自分からは出てこないような言葉に線を引きながら読み進めていたけれど、書かれている内容に引きつけられ、途中から日本語の勉強どころではなくなった。本を読み終えた頃には、通訳者になるのはやめようという決意が固まっていて、相方に「やっぱり通訳者になるのやめるわー」と言った。




ぼくは英語の勉強は好きだったけれど、通訳のための勉強はあまり好きではなかったようだ。通訳の機会があるたびに、専門的な用語(英語と日本語)を頭にたたき込み、誰かが話した言葉をゆっくり咀嚼する暇もなく瞬時に別の言語に置き換えていく。プロの通訳者にあれば、いろいろなテーマについて勉強し続けることはできるけれど、自分のペースや自分に興味に応じて学んでいくことはなかなか難しいくらい、目の前の仕事に追われ続けるような気がした。仕事によって自分の「暮らし」を犠牲にしたくない、という気持ちもどこかにあった。

「ザ・プロフェッショナル」という本には、「自分の頭で考えること」の重要性が何度も説かれていたように記憶している。通訳の仕事は、頭脳を酷使する仕事だけど、「誰かが話した言葉」の範囲から逸脱してはいけない。誰かの言葉を、その言葉がわからない人に正確に伝えることは大事な仕事だと思うけれど、自分には向いていないような気がしてきた。と言いつつ、ぼくは子どもの頃から「自分の考えや主張」というものをたいしてもっていなかったけれど、だからこそ、「自分の頭で考えること」に引かれたのかもしれない。

大前研一氏の仕事が主にビジネス関係のコンサルティングだったので、ビジネスの世界に興味をもち、ベンチャー企業の仕事をアルバイトでしてみたり、起業について勉強したり、コンサルタントになろうとしてみたりしたが、結局その後、ぼくはビジネスをやりたいわけではなく、「自分で考えること」に興味があっただけなのだと気づいた。

自分が何を仕事にしていきたいのかわからず、ひとまず自分にできる翻訳で生計を立てていこうと思い、日本語の勉強のために『和解』(志賀直哉 著)という小説を読んで、文学に興味をもった。




志賀直哉の小説は、自分の暮らしや日常で感じたことをそのまま書いている(小説として成り立つように組み立てているけれど)ような作品が多い。しかも、かなり気ままに暮らしているように見えた。「暮らしを犠牲にしない仕事」を見つけたように思えた。

その後、ぼくは誰にも見せないノートに日本語の文章を書く練習を始め、本にして発表していいと自分で思えるようなものが書けるようになるまで2、3年かかった。

想像で書く小説は特に難しく、ようやく初めてできたのが「庭の花」という短編集。

http://makotomo.handcrafted.jp/items/1647942


文章を書くのは好きだけど、「職業作家」のようにはなりたいとは思わない。書きたいことだけを自分のペースで書いていきたい。

ぼくは普段、あちこち気ままに出歩いているので、本当に仕事をしているのか心配されることもあるけれど、田舎で必要なものはなるべく自分たちでつくる暮らしだとあまりお金がかからないので、翻訳や英語関係や取材の仕事などを組み合わせて何とかやりくりしている。志賀直哉の気ままそうな暮らしに憧れたが、その数年後には、気づいたら自分も同じような暮らしをしていた。

そのうち、水や空気のきれいな広い場所で木々や草花を手入れして、土と木で自分で家を建てて暮らしたいと思っている。生きるのに必要なものはすべて、敷地内の自然から得られるような暮らしがしたい。動植物や自然ともっと調和して生きる方法を探りたい。そのためには準備が必要。野菜や米を育てたり、森を手入れしたり、古民家を直したり・・今のうちに技術と感性を養い、将来のビジョンをもっとはっきりと描いていきたいと思っている。


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by 硲 允(about me)
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