お金は創造の道具。お金を得ること自体を目的にせず、お金で何を生み出すかが大事

お金に対する考え方は人それぞれ。

ぼくは昔から、自分の能力を伸ばすことには執着があったが、お金にはあまり執着のないほうだった。お金で買えるもので何としても手に入れたいようなものは特になかった。

お金があれば何でも手に入ると思っている人もいるようだ。お金には確かに「強制力」がある。お金を支払えば、誰かに、お金の必要がなければしたくないことをさせられるシステムができている。直接的、間接的に、誰かに嫌々何かをさせたツケは必ず自分にも回ってくるものと思う。

とはいえ、現代社会で生きていくにはお金は必要。お金が足らないと、自分がしたくないことをせざるを得ず、お金をふんだんに所有し、お金で人間や社会のシステムを動かしている人々の思うままに動かされてしまう。お金に執着するとお金の奴隷になる危険性があるが、お金が無くてもお金の奴隷になってしまう。

お金の呪縛から逃れるためにお金を得ることが必要だ。しかし、お金を得ること自体を目的にするとおかしなことになる。

ここ数十年間、「開発」という名のもとに、自然を破壊する活動に大量にお金がまわっていった。これからは、自然を回復するためにたくさんのお金がまわる社会にしていきたい。そのためには、自然を回復したい人々の手にお金を渡らせなければならない。

必要のない道路やダムをつくるとなると大量のお金がまわるが、道ばたや川の掃除をしてもほとんどお金は得られない。

人間は自然を破壊してお金を得たところで幸せにはなれない。そんなことをして得たお金で何を得る? 自然を破壊したり誰かに嫌々何かをさせて得たお金で何かを得て本当に幸せそうにしている人間を見たことがない。

お金を得ることを目的にするのではなく、得たお金で何を生み出すかが大事。

現代社会ではお金は創造の道具になる。世のため、人のためになるものを生み出していきたい人たちのもとにお金が動いてほしい。そういう人たちは、世のため、人のためになることをしてお金を得たいと思うものだが、そういう仕事は比較的少ないため、お金が得られにくい。あまり潔癖になりすぎると、お金にはなかなか近づけないのかもしれない。真っ黒なお金はいらないが、ちょっと灰色がかったお金をみんなで白いお金に転換していく必要がある。人間の幸せにどれだけ貢献したかに応じてお金が分配される社会になれば、お金をたくさん持っている人もそうでない人も幸せに生きられる社会になるはず。


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