ものを書くことは、それ自体が他人との共同作業



「ものを書くことは、それ自体が他人との共同作業」だと、ふと思いました。

だいぶ前に外出先の和室でくつろいでいるときに、その和室の美しさを味わえるのは、過去に生きてきた人々がこうしたデザインを生み出してきたおかげだと、しみじみと思いました。人間、「他人に頼らずに生きてやる」と意気込んだところで、知らず知らずのうちに他人からの恩恵を受けていることが山のようにあるに違いないと。和室でくつろぐ時間を楽しむこと一つをとっても、いろんな人のおかげでそれができています。

「ものを書く」というのは、この世に存在す何かを描写したり、それをもとに空想で書いたり、自分の考えや想いを言葉にする作業です。書く作業自体は、自分一人で行う行為ですが、その内容というのは、自分一人だけで生み出せたものではありません。

目の前にある物を描写するにしても、それをつくってくれた誰かがいるからこそ、その文章が存在し得るわけです。人工の物ではなく、植物や動物などについて書くにしても、その植物や動物が存在している(いた)からこそ書ける。その植物や動物を生かし、存在させているのは、それを言葉で描写した「書き手」ではなく、宇宙のもっと大きな力でしょう。

自分の考えを書くにしても、その考えというのは、それまでに出会ってきた人たちや、読んできた本や、人生で触れてきたあらゆるもののおかげで、今その考えにたどり着いたわけです。想いにしても同様で、どんなときに何を想うかは、生まれてから今までに出会ってきた人間や、触れてきたものや、暮らしてきた環境によるところが大きいでしょう。そういうことを想う人間に、自分一人でなれたわけではありません。(この世に誕生した時点で、親や、その周りの人たちや、祖先たちの恩恵を受けています。この世が生き地獄な人にとっては、とても恩恵とは考えられないと思いますが・・・)。

だからといって、一人の人間の考えや想いというのが頼りないものだと言うつもりはありません。人間一人ひとり、他の人間からの恩恵を受けているのは当然で、そのことを認識したうえで、個人の考えや想いというものをお互いに尊重すべきだと思っています。

「傲慢にならず、卑屈にならず、感謝して」

そんな言葉が浮かんできました。ものを書くときに心掛けたい態度です。


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