「対話の糸口は開かれた」。三宅洋平氏から奥田愛基氏への返答とも言える本音のスピーチ

SEALDsのメンバーである奥田愛基さんが個人的に、三宅洋平さん(東京選挙区で立候補しているミュージシャン)の選挙フェスに出たことを紹介する記事を昨日書きました。


三宅洋平氏・選挙フェスにSEALDsの奥田愛基氏が登場。「一番大事なのは自分の頭で考えて行動すること。それだけはつながってると思ったから」 - 珍妙雑記帖






奥田愛基さんの話を一部、紹介しましたが、その記事を投稿した後で、それに続く三宅洋平さんの話を聞き、これも併せて書いておかなければいけないと思ったので書き起こしました。



(30分弱の映像なので、時間のある方はぜひ映像をご覧ください。)





三宅さんは、奥田さんの話の後、「対話の糸口は開かれたということで、これから、奥田くんたちとぼくたちと、いろんな話ができるようになると思います」と言って、話を始めました。「まず、奥田くんの話から2つ、話を引き出していこうと思う」

まず、奥田さんの以下の話に関して。

洋平さんとはタイミングが違った。「オール沖縄」っていうところを見て、オレはすげえ影響を受けた。一人しか勝てない首長選挙で翁長さんが勝った。そのときに洋平さんは、喜納昌吉さんっていう人を応援してたし、翁長さんってこと、利権だって言った。オレはそのときのこと、すげえ覚えてる。なんでかって、沖縄に住んでたから。やっぱオール沖縄って応援したかったし、そのときも、タイミングが違った。


「オール沖縄」で翁長さんを持ち上げていく空気の中に危うさを感じた

沖縄で「オール沖縄」という動きが起きた時、俺はうれしかった。だから、翁長雄志知事が自民党から「私はいつでもスイッチヒッターになる」と言って、選挙に出る前から、俺は誰よりも早く彼に注目してた。彼の言う「私はいつでもスイッチヒッターになる」という言葉にすごく期待を託してたし、沖縄だけが持ち得るリベラルな感情にすごく期待をしたんだよね。で、今、たとえば三宅洋平の選挙フェスで、ワーってなってる人たちのことを少し遠巻きに見ている人たちは、あまりに無垢に三宅洋平を支持しているって、懸念を持つ人たちがいる。で、俺は同じように、実は、翁長さんを持ち上げていく空気の中に危うさを感じたんだよね。そこを共有したいんだ、奥田くんとは。


「この釘は洋平、後で効くよ」

で、俺は喜納昌吉がものすごい空気読まないタイミングで「出る」って言いだした時に、全く理解ができなかった。友人であるということ以上に、一人の有権者として「なんで今出るの?」。勝ち目もないし、「オール沖縄」の動きをひっちゃかすだけで、つぶされるに決まってる。つまり、彼に利があるかないかじゃなくて、なんでそんな無謀な行為をするのかを止めに行ったんです。友人として。で、彼の話を聞いて、納得したんです。
「洋平、私はね、翁長のことも下地のことも仲井眞のことも、何十年もよく知ってるよ。私は既存の政治を変えたい。今回の立候補で私は叩かれるだろう。決して勝つこともないだろう。だけどね、基地が撤退する利権と、基地をつくる利権。土建屋だけで選挙をやる時代は終わりにしたいんだ」って言ったんです。
そのことに気づかずに、「オール沖縄」で盛り上がっていく人々に対して私は一つ釘を刺しておきたいんだって言ったんです。「どんなに滅茶苦茶にされてもいいから、私はそこに、ひと釘刺しに行く。この釘は洋平、後で効くよ」って言ったんです。ぼくはその話を直接聞いて、納得がいったんです。
でも、こう言いました。「表立ってはっきりとは応援できません」。おそらくぼくが喜納さんの側についたら、自分が前回の選挙で得た17万6970人に対しても説明がつかないし、だから、表立って、たとえばぼくがtwitterやネットでガン「ガン、喜納昌吉、喜納昌吉と言って票を稼ぎに行くことはできません」。だから放置プレイしたんです、喜納昌吉を。
見事、8000票で彼は落選しました。それからも、本当に、ぼくから見て元気がないです。いろんな人の信用を失いました。でも、ぼくには忘れられないんです。「土建屋だけで選挙をするな」って言った。


政治や選挙のために、死人が出るような政治は終わらせたい

確かにそうなんです。仲井眞さんも、下地さんも、翁長さんも、バックがやっぱり建設関係なんです。それは事実です。「なぜそのことに、誰も何も言わないんだ、沖縄の人は?」って彼は言ったんです。それ以上のことは、ぼくにはわかりません、言えません。
ただ、そのときぼくには確かに、「オール沖縄」で盛り上がっていく人々が、いろんなことに目を瞑ってしまっていることが、徐々に納得いかなくなったんです。でも、それからものすごく、翁長さんのことをウォッチしてるんですよ。本当にこの人は基地を止めてくれるんだろうか。どこまでやってくれるんだろうか。だから彼の書いた本も読んでるし、彼の言ってることもよく聞いてるし、彼を支持する人のこともよく見てます。
ぼくは最初ね、知事になった次の日には基地の前でダイイング(?)してくれるくらい思ってたんですよ。結局、工事は、一年以上止まらなかったんですよ。ぼくは、奥田くんが今ぼくにものを申したように、やはり、翁長知事にも申したいものがあるんです。「どうして、こんなに時間がかかったんです?」
そして、裁判という形で一時停止はしたけれども、ぼくが住んでいた本部町の山には、セメント会社があるんですけれども、ものすごい勢いで山が削れていきました。これ、埋め立てに使っている土なのかどうなのか、裏は取ってないですけど、ものすごい勢いで山が削れていくのを見て、やっぱりこういうことも止めていきたいし、基地のみならずですよ、海を埋め立てるという行為に対して、ぼくらはもっと、政治家に動いてほしいと思ったんです。
でも、彼をウォッチすることで、いろんな彼らの事情も見えてきたんです。埋め立て事業の利権の大きさや、それを止めようというようなことを言った日には人が死ぬんですよ。それで、より意識を高めましたよ。政治や選挙のために、死人が出るような政治は終わらせたいって。だから今、勇気を振り絞ってここに立って、俺はちゃんと思ったことを、自分にとっての真実を伝えていこうと思ってるんです。まずそれが一つです。


次に、 奥田さんがこう話した、「票割れ」について。
ずっと、何で洋平さんの応援しないんだって言われてきたし、逆に洋平さんは何で出たんだって言われてきたと思うんですよ。まぁ正直、今も思っているところある。すごい友だちにも言われる。けど、東京選挙区とか複数区はしょうがないかもしれないけど、全国32の一人区で野党がバラバラだったのを、オレら一年間、野党の一人ひとりに謝り倒して、今回だけは共闘してくださいってお願いしまくったんですよ。

「票割り」に来たんじゃなくて「票増し」に来たんだ

もう一つ、ぼくは「票割れ」ってずっと言われてきました、この選挙期間中。じゃあ、野党共闘を、確かに奥田くんたちも頑張ってきた。にもかかわらず、空気を読まずになぜ出たか。
それは、今のままでは、改憲派が勝つと思ったからです。野党共闘は頑張っているけれども、今のままでは、前回選挙に行かなかった4922万人の心を掘り起こせている候補がいないと思ったからなんです。だから俺は、髪も切らず、ヒゲも生やしたまま、Tシャツで選挙で出てるんです。なんでか? 俺は共産党や民進党に票を入れたい人たちの票を割りたくないからです。で、「わたくし」ではなく「俺は」って言ってるのは、自分が自分のまま自分らしくあれる社会を築きたいからでもあるけれども、そういう、「三宅は論外だ」という人たちが掲げる政治家はそれこそ論外だと言って選挙に来なかった人にとってわかりやすい選択肢でありたいからです。
だから俺は「票割り」に来たんじゃなくて「票増し」に来たんだってことを、ほんとにわかってほしいんです。そのために、全部のリスクを自分は背負ってますから。

「陰謀論」については、今回の話の中では語っていませんが、2015年3月に、公式ブログで長文の記事を投稿されていて、参考になるかと思います。

釈明とお詫び|三宅洋平 オフィシャルブログ「三宅日記」