「勉強って何のためにするの?」と小さな子どもに訊かれたら何と答えますか?



最近、勉強というのは、創造のための道具を増やしたり鍛えたりするためのものだ、という考えが浮かびました。

「勉強って何のためにするの?」と小さな子どもにきかれ、「創造のための道具を増やすためだよ」なんて答えたら、「はぁ?」という感じだと思いますが、「ドラえもんの四次元ポケットの道具を増やすようなもんだよ。いろいろ入ってたほうが楽しいよね」と言ったらわかりやすいでしょうか。学校では「どこでもドアや」「タケコプター」のような便利な道具はもらえませんが。

「創造」というとちょっと大げさですが、「できることが増える」ということです。

英語を使えるようになったら、自分の考えや想いを伝えられる相手が増えるし、歴史を学べば、過去の歴史の教訓を生かしてこれからの未来をつくっていけます。化学や物理を勉強すれば、自然界にある材料で、自然界にもともとない道具をつくっていける、というように。

学校の勉強をしていても、勉強すれば「できることが増える」という感覚が得られないのは、先生の話を黙って聞くインプットがほとんどだし、勉強したことをどう役立てていけるかを学ばないからでしょう。実際ぼくは、学生時代、英語の科目にはほとんど興味も関心もありませんでした。今になって、ちゃんと勉強しておけばよかったと思いますが…。

英語は、コミュニケーションの道具であることが明確で、どう役に立つかがわかりやすい教科です。新しい文法を一つ教わるたびに、また一つ英語で伝えられることが増えたという喜びがありました。

大学生の頃、友人と同じ映画を観ても、歴史をちゃんと勉強してきた友人はその背景まで理解して楽しめているのを見て、歴史も真面目に勉強しておけばよかった、と思ったものです。中高の頃は教科書もまともに読んでいませんでしたが、ようやく関心を持ち、本屋に教科書や参考書を買いに行きました。

英語は幸い、英語が好きで、仕事や実生活でも使ってきた塾の先生に教わることができたのがよかったです。その先生が、自宅の塾でホームステイしているアメリカ人と英語で話しているのを見て、ぼくもそんなふうに英語を話せるようになりたい、と思ったものです。

他の教科も、これを勉強したら、こういうことができるようになる、こういうものが生み出せる、こういうことを楽しめるようになる、というイメージがはっきりしていれば、学生の頃からもっと勉強していたと思います。学校の授業では、知識のインプットをするばかりでなく、インプットしたものを実際に活用していく機会をもっと増やしていくべきでしょう。