子どもの頃から「批判精神」を養っていける場や機会をつくるには?

考える猿?
考える猿? posted by (C)さちどん(体調ちょっと不良中)


「批判精神」という言葉がありますが、ぼくは子どもの頃、そういうのがほとんどなく、「嫌いな人」もほとんどいませんでした。それだけ「平和」な日々だったのだと思います。

今思えば、学校で教わった先生のなかには「おかしな先生だったなぁ」という人もいますが、当時はほとんど何の疑問も持たずに「先生の言うことを聞いて」いました。今思えばひどい扱いを受けたこともありますが、当時は自分がわるいと思っていました。ぼくのような批判精神の少ない子どももいるので、先生の役割は重要ですね…。

「先生の言うことをよく聞くように」と親に言われた記憶はありませんが、親が子どもに言うべきなのは、「先生の言うことをよく聞く」ことではなく、「先生の言うことでおかしいと思うことがあったらちゃんと言いなさい」ということかもしれません。おかしな先生に「口ごたえ」したら逆切れしてくるかもしれないので、先生に言ってもムダだと思ったら、友だちや親などに相談したらいいよ、と言っておけば、子どもは先生の言うことを妄信せずに済むかもしれません。

登校拒否になったり、引きこもりになったりする子どもたちは、「批判精神」の強い子どもなのかもしれません。まともな「批判精神」があれば、一日中黙って先生の言うことを聞いているのはかなりの苦痛なはずです。学校に適応できないからと言って、そういう子どもを落ちこぼれや社会の不適合者のように見る人が未だにいるようですが、むしろ、学校に行きたくないほうが、人間としての正常な感覚を失っていないのではないかとも思います。そういう子どもたちを社会の不適合者のように扱うのではなく、社会がそういう子どもたちの居場所をつくっていくべきだと思います。

ぼくは相方から「批判精神」を学んだところが大きいように思います。相方は困難の多い子ども時代を乗り越えてきたためもあってか、「批判精神」に富んでいます。どんなに仲のよい友だちや好意を抱いている相手に対しても、相手の言動の動機や意図を的確に読み取っていて、そのおかげでぼくも大事な場面でよりよい判断をしてこれたことがよくあります。

今の学校教育は、答えが決まっていることを覚えたり、予め決まった答えを導いたりする勉強が中心なので、学校の勉強をしていても「批判精神」が育ちにくく、実生活で学んでいくしかないところがありますが、ぼくの子どもの頃のように、実生活でもそういう機会の少ない人も多いのではないかと思います。人生において的確な判断を下していくためには、「批判精神」が大事です。学校にしろ、それがすぐに難しければほかの場所にしろ、子どもの頃からそういうことを学んでいける場がもっとあればいいなぁと思います。

と、そこまで書いて、この本を思い出しました。


世界一やさしい問題解決の授業―自分で考え、行動する力が身につく(渡辺 健介)



自分の答えのつくりかた―INDEPENDENT MIND(渡辺 健介)


中高生向けに書かれた本とのことですが、小学生でも読めるのではないかと思います。「学校では教えてくれない考える力のトレーニング」ができる本で、ぼくは大学生の頃に読んだのですが、こういう本をもっと前に読んでおけばよかったと思ったものです。

本当の「批判精神」を養うには、思考力だけでなく心も豊かに育てていく必要があると思いますが、これらは「思考力」の方面を鍛えるにはとても優れた本だと思います。著者の渡辺健介さんの、子どもたちに考える力を付けてもらいたい、という情熱が伝わってきて、こういうテーマの本では珍しく「あたたかみ」のある本です。