「誰かの役に立ちたい気持ち」と「創造」について



昨日、「創造」について相方と話していると、どういう話の流れか、「誰かの役に立ちたい気持ち」の話になりました。

そうか、これも「創造意欲」のうちの一つだと思いました。

誰かが何かをする(創造する)のを手伝うのも、「創造」です。どうも、人間というのは「創造活動」をしていると充実感や生きがいを感じるようにできているように思います。

「自分はこれをするんだ」と、自分が中心になって創造したいものがないなら、誰かが中心になっておこなうことを手伝うのもありで、それも「創造」に違いありません。

ただ、「創造活動」をすると生きがいを感じるといっても、自分が本当に創造したいものを創造する必要があります。誰かの活動を本気で応援している人は輝いているものです。ところが、自分が賛同していない誰かの活動(創造)を手伝ったところで、やりがいも生きがいも感じられないものです。

「誰かの役に立ちたい」という気持ちには、「創造意欲」のほかにも、人によって、いろんな気持ちが混ざっていることでしょう。「承認欲求」なんかも混ざっているかもしれません。だから、気をつけないと、いつの間にか自分が創造したくもないものを創造する手伝いをして、そこに「創造の喜び」はないのに、自分の満たされない何かをそれで満たそうとして、そこから抜けられずにいる、ということにもなりかねません。

「誰かの役に立ちたい」気持ちを感じたら、ちょっと立ち止まって、「創造」という観点から冷静に分析してみるのもいいかもしれません。

その誰かは、この世に何を創造しているのか?

自分もそれをこの世に生み出したいと思うのか?

それを生み出すには、その人を手伝うのが最適な方法なのか? 他にどんな方法があるのか?

その人の創造に、自分はどんな形で役立てるのか? その形で手伝うことに喜びを感じるか?

こうしたことを考え合わせたうえで、やっぱりその人の「役に立ちたい」、協力したい、と感じるなら、そういう形での創造行為に喜びと生きがいを感じられるのではないでしょうか。