熊野本宮大社、移築前の「大斎原(おおゆのはら)」は特別な場所でした。


熊野本宮大社のすぐそばに、「大斎原(おおゆのはら)」という場所があり、熊野本宮大社はもともとここにあったそうです。

日本一の大鳥居(高さ33.9m、横42m)が目印。


明治22年(1889年)の水害まで、熊野本宮大社は熊野川、音無川、岩田川の3つの川の合流点に位置するこの「大斎原」と呼ばれる中洲にあったそうです。

熊野川と音無川に挟まれ、川に浮かぶ小さな島のようだったといわれているらしい。

水害前の絵図を見ると、たしかにそんな感じです。


江戸時代まで、音無川には橋が架けられておらず、参詣者は草鞋(わらじ)を濡らして音無川に足を踏み入れ、冷たい水で心身を清めてからでなければ本宮に入ることができなかったそうです。

明治22年の水害の原因は、明治に入ってからの急激な森林伐採だといわれています。上流の十津川で大水害が起こり、濁流となった熊野川が本宮大社の社殿を呑み込んだそうです。森林の重要さを思い知らされます。

大斎原を歩くと、空気がやわらかく、今も特別な氣が満ちているように感じました。